誰の為の人生なのか?
他人(ヒト)の目
特に、日本の社会で思う事は、
他人(ヒト)の目ばかり、気にする社会だなぁとつくづく思います。
他人(ヒト)の目を気にするばかりに、正しい事も進められない。
学校の教室でいる時も、部活動でいる時も、電車に乗っている時も、街で買い物している時も、会社で働いている時も、生活している時でさえ、何をしていても他人(ヒト)の目を気にする社会です。
島国日本特有の文化
島国日本は独自の文化を育んできた経緯があり、
島の中で皆がひとつになり協調し、生活を営むという集団協調スタイルから現在に至ります。
良い面、悪い面がある。
集団意識が高い事からも、世界でも、治安も維持され安全な場所のひとつです。
コンビニやスーパーは24時間営業し、自動販売機は至る所におかれ、財布を拾えば交番に届けられ、他人のモノと分かれば目の前にあっても触る事も無い。
困っている人にも優しく、他国からも評価されています。
これらは、公共の場では素晴らしい事です。
公共と個人とは違う
ただ一方で、個人となると、世界の競争社会の中では、疑問に思う場面が多いです。
ひとりひとりは違う身体、違う思想、違う存在であるはずなのに、それすらも同じでいようとしてしまう習性があります。
それ故に、他人(ヒト)と違いがあると、すぐ批判したり、排除しようとする。
例えば、
学校の教室という小さな世界でも、少し考えが他人(ヒト)と違っていたりすると
「何あいつ?」
電車の中でパンを食べていると、
「恥ずかしい人!」
志があってもう1年頑張ろうと浪人しているのに、
「かわいそうなヤツ」
会社で新たな事を取り組もうとすると、
「勝手なヤツだ!面倒くさい事はやめさせる」
パーティーで他人(ヒト)と違う服を着ていると、
「格好つけていい気になって!」
これらはほんのごく一部ですね。とにかく他人(ヒト)と少し違いがあると
「なんか違うんだよねー。」とその人がいないところで噂する。
小さな世界にどどまるな!
これがアメリカでは、全く逆の発想で個人を尊重する社会です。
他人(ヒト)とは違う事を誇りに思っているし、ひとりで堂々と行動出来ないと生きてはいけない。
会議では、日本の様な、変な事言わない様にしよう。とか、皆の意見や流れに合わせよう。などと考え、黙ってニコニコしていたり、ボーっと発言しないと、つまみ出されます。
自分の意志はどうなのか?
こうした姿から、日本人には自分の意志はあるのか?と疑問に持たれてしまう場面も少なくないのです。
日本には日本の”協調性”という素晴らしい文化を持っています。
これに、”個人も尊重する文化”がプラスされると、良いのですが。
自分の人生
自分は自分。人の知ったことか。自分のやりたい様にやる。他の人なんか関係ない。とまでは言いません。
人と協調する事は大切ですが、人の言いなり、人に合わせてばかり、人の目ばかり気にしていては、自分はいりません。
誰の人生でもありません。自分の人生なのです。
自分の意志を殺してまで他人(ヒト)の目を気にする必要はないという事です。
自分の信念で生きる
正しい事を進める事や、人に迷惑をかける事で無い限り、
しっかりと自分の信念、自分の意志を持っていなくてはなりません。
勝手に作られた常識だとか、くだらないルールに縛られず、
やりたい事はやり、面白い事に挑戦し、自由に生き、楽しく生きた方が素晴らしい人生だと思いませんか?
これが私の生き方だ。これが私の信念だ。と言うことは素晴らしいと私は思います。
人生の第一関門 扉を開く為に。その1:意思表示
このブログは、真の生き方や人生について、
深く考え、追求し、読んでくれる多くの人に、
幸せに生きる参考として貰える事を日々願って、
『 真の生き方 〜 True Life Style トゥルーライフスタイル 〜 』
を贈っています。
〜 今日の贈る言葉 〜
「世の人は 我をなんとも 云わば云え 我が成すことは 我のみぞ知る」坂本龍馬
自分らしく生きなさい。という名言
「誰かのために生きるのではなく、
自分のために生きるのです。」
TRUE
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