生きる意味
目次:
① 生きる意味に迷う時
② 人生全ては諸行無常 一瞬夢幻か
③ 生きる意味を問うてはならない。問われているもの。生きて見つけ出すもの。
① 生きる意味に迷う時
あなたは
”生きる意味” が何であるか?
一度でも考えたことがあるだろうか?
私は過去に幾度となく、
この不思議な問いについて、
考えさせられる時がありました。
「何のために生きているのか?」
自分の進もうとしている道に障害があり困難な時。
愛情に飢え、寂しさや虚しさを抱え、とても悲しい時。
時には、物事が順風に進み、イメージした完成に満足した時。
「これから何のために生きていくのか?」
考え、悩み、苦しんだ時、涙する時もありました。
人は、生きている中で、思春期・中年期・高年期。
様々な人生におけるターニングポイントを迎えます。
生きていると毎日の生活が現れ、喜び、怒り、悲しみ、楽しむ。
様々な出来事に遭遇し、生きている世界は目まぐるしく移り変わります。
難病にかかったり、恋人を失ったり、子供を失ったり、職を失うなどして生存目標を失うと、
人は「前途が真っ暗な世界に閉ざされた」「世の中が真っ暗になった」「深い谷底につき落とされた」
などといった感覚を味わい、喪失による”生きる意味”への疑問が生じます。
また、それとは逆に、
愛し合ったり、仕事に成功したり、認められ名誉を得たり、生きがいを得ると
「もっと人に愛されたい」「認められたい」「もっと欲しい」
などといった欲望が出て、満たされた事による”生きる意味”への疑問が生じます。
”生きる意味”が何であるか?
実は、人間にとって究極の問いなのです。
この問いは、
経済的に豊かな国豊かな社会であるほど、
切実な問題となってくる傾向があります。
経済的・物質的に豊かな国の人々ほど、
ひどい「空虚感」や「心のむなしさ」に
さいなまれている人の数が増える傾向があるからです。
食べる為に、生きる為に、貧困に苦しんでいる発展途上国では、
「生きている」”意味”を探すというより、「生きたい」という”願望”がより強いのです。
ところが、人間は「基本的欲求」のすべてを満たして、
ようやく「自己実現の欲求」といった高次の欲求にかられ始めます。
つまり、「豊かな社会」は「基本的欲求を満たしやすい社会」なので、
高次の欲求が発生しやすく、それが満たされない苦しみにさいなまれ易いという面があるのです。
若い頃には、
「財産・地位・家族などを手に入れれば、幸福になれるに違いない」と思い込み、
ひたすら頑張ってきたのに、いざそれらを手に入れてみると、まったく幸福という実感が無く、
自分の人生に「大切な何か」が欠けている、という気がして仕方なくなり、「人生のむなしさ」を痛感する人が多いのです。
自分の生きる価値はなんなのか?
この段階で、あらためて
「自分はなんの為に生きているのか?」
「残された人生で、私は何をする事を求められているのだろう?」
「自分の人生を意味あるものにする為には、今後どう生きてゆけばいいのだろう?」
という問いに真正面から向き合うことになるのです。
つまり、人間だけが持つ、高次元の思考からこのような迷いが生じるのでしょう。
② 全ては諸行無常
織田信長は、一節謡いながら舞うと、猛然と出陣したと言います。
「人間五十年、下天の内を比ぶれば、
夢幻の如くなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか」
つまり、
「天上世界の時間の流れてくれべたら
まるで夢や幻のようなものであり、命あるものはすべて滅びてしまうものなのだ。」
と謡ったのです。
人間が生きることは、
宇宙からしてみれば、
”空”に過ぎない。
全てが最初から無く、
元に戻るだけであり、
夢幻かのごとくです。
「生きる事に意味などは無い」
と説いているかのごとくですよね。
人によっては、
「意味など無い」と聞くと、
「意味が無いとは何事だ!」なんて、
怒り出す人も出てきそうですが、そうではありません。
「それじゃ生きる意味がないじゃん」なんて、
排他的なことを考えてしまう人も出てくるかもしてません。
ところがそうではないのです。
生きる事の意味を悩むより、
短く限りある人生しか無いのだから、
生きている今こそ命を燃やし精一杯生きるのだ!と言っている気がしてなりません。
③ 生きる意味を問うてはならない。問われているもの。生きて見つけ出すもの。
ヴィクトール・フランクル(オーストリアの精神科医、心理学者)によると、
「人間が人生の意味は何かと問う前に、人生のほうが人間に対し問いを発してきている。だから人間は、本当は、生きる意味を問い求める必要など無いのである。人間は、人生から問われている存在である。人間は、生きる意味を求めて問いを発するのではなく、人生からの問いに答えなくてはならない。そしてその答えは、それぞれの人生からの具体的な問いかけに対する具体的な答えでなくてはならない」
神谷美恵子(精神科医。哲学書・文学書の翻訳やエッセイの著者)によると、
人間は生きがいを求めるものだと説いています。
自分の生存は何かのため、またはだれかのために必要であるか。
自分固有の生きて行く目標は何か。あるとすれば、それに忠実に生きているかという事です。
ゲーテ(ドイツの詩人、劇作家、小説家、自然科学者、政治家、法律家)によると、
「自分の命を懸命に燃やす」ことによってのみ、人生の意味や真の幸福はつかむことができると説いています。
五木寛之(日本の小説家・随筆家。作詞や仏教・浄土思想に関する著作も多い)によると
人生の目的は、『自分の人生の目的』をさがすことである。自分ひとりの目的、世界中の誰ともちがう自分だけの『生きる意味』を見出すことである。変な言い方だが、『自分の人生の目的を見つけるのが、人生の目的である』といってもいい。私はそう思う。
そのためには、いき続けなくてはならない。いき続けていてこそ、目的も明らかになるのである。『われあり ゆえにわれ求む』というのが私の立場だ。
どれも深い。
考えさせられる言葉だと思いませんか?
これらの書籍から私なりに解釈すると、
『人間は生きる意味を問うのではなく、実は問われている存在であり、
どのように生きるのか、生きがいを見つけ、自分の命を懸命に燃やす事、
つまり、
自分の命を懸命に燃やし、人生を生き続け、目的を見つける事こそが「生きる意味」だという事だと思います。』
これまで、
若い頃から、
ずっと長い間、
「生きる意味」とは何か?
幾度となく、この不思議な感覚に陥り、
ぼんやりとした疑問を抱えてきました。
腑に落ちた今、
「単純すぎる!(笑)」
と笑われるかもしれませんが、
何故か、ある一筋の真理を知ると、
心の奥底で絡んでいたものが、やっと解けて納得が出来、
「そうだったのか!」と生きるパワーに変わるのは私だけでしょうか?
『自分の命を懸命に燃やし、人生を生き続け、目的を見つける事こそが「生きる意味」だという事』
人それぞれ
解釈も考え方も
違うかもしれませんが、
「生きる意味」
この究極の問いに遭遇したあなたは、
真剣に悩み、考え、探し求めた分だけ、
今後、この問題や疑問に出会ったとしても、
ある一つの答えを導き出し、迷うことなく進む事ができるのです。
第100回記念『真の生き方 〜True Life Styleトゥルーライフスタイル〜』
まとめ:
人間だからこそ、「生きる意味」に迷う時がある。
ひどい「空虚感」や「心のむなしさ」にさいなまれている人もいる。
高次元の思考からくる問いに真正面から向き合うことになる。
「生きる事に意味などは無い」
生きる意味を問うてはならない。問われているもの。見つけ出すもの。
『人間は生きる意味を問うのではなく、実は問われている存在であり、
どのように生きるのか、生きがいを見つけ、自分の命を懸命に燃やす事、
つまり、
自分の命を懸命に燃やし、人生を生き続け、目的を見つける事こそが「生きる意味」だ』
このブログは、真の生き方や人生について、
深く考え、追求し、読んでくれる多くの人に、
幸せに生きる参考として貰える事を日々願って、
『 真の生き方 〜 True Life Style 〜 』
を贈っています。
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『真の生き方』が参考になり、役立つ事が出来れば、
「この人には。」と思うあなたの本当に大切な人へ
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生き方―人間として一番大切なこと
稲盛和夫 サンマーク出版 2014-07-01
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〜 今日の贈る言葉 〜
『「自分の命を懸命に燃やす」ことによってのみ、
人生の意味や真の幸福はつかむことができる。』
- ゲーテ(ドイツの詩人、劇作家、小説家、自然科学者、政治家、法律家)
「あなたは自分の人生を生きるために生まれてきた。」
TRUE
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